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大島小史 昭和2年から昭和9年

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年11月2日更新

昭和天皇、東宮時代ご来島 大島に人が住みはじめたとされる約8,000年前から、噴火、台風、火事、地震…さまざまな歴史をくり返しながら生活も環境も変わってきたが、特に交通の進歩は、船で60分にまで本土を近づけている。加えて、はじめて飛行機が三原山砂漠に着陸してから70余年、1日2便が30分で東京まで運ぶとともに伊豆各島へのヘリコプターや小型機の定期便も実現した。
写真:昭和天皇、東宮時代ご来島(大正7年)      

 

昭和2年(1927年)

  • 岡田、泉津、差木地、波浮港の各村に送電が始まり、全島に電灯が灯る。
  • 川端康成「伊豆の踊子」を発表。(出版 大正15年)

昭和3年(1928年)

  • 初めて自動車が来た頃 昭和6(1931)年初代「橘丸(392トン)」東京―大島―下田に就航。
  • 初めて自動車が入る。このころ、観光協会自動車部と南海自動車で1日6回の定期便を運行。
  • 三原山に「御神火茶屋」の創業。
  • 佐藤千夜子、藤原義江の「波浮の港」ヒット。
  • 波浮港に東京府水産試験場大島分場が完成。
  • 和田滝蔵(26歳)三原山火口に投身、自殺第1号となる。
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昭和4年(1929年)

  • 東京―大島間に日航便を開始。
  • 天皇陛下行幸(戦艦長門)
  • 「菊丸(756トン)」完工。
  • 年間来島者48,722人。

昭和5年(1930年)

  • このころ、日本美術院同人・木村五郎氏が木彫アンコ人形の製作を指導。

昭和6年(1931年)

  • 電話開通(加入者数:元村局25、波浮港局12、岡田局20)
  • 六踏園(昭和2年、非行少年の感化施設として設置)で園児90名が園内で暴行事件を起こす。
  • らくだ2頭、ロバ11頭、三原山砂漠に導入。
  • この年の観光来島者82,104人。三原山でらくだ遊覧はじまる 昭和6(1931)年
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昭和7年(1932年)

  • 大暴風雨。野増村で死者1人のほか全島で149戸が全壊、差木地村沖合で「榊丸」行方不明、岡田灯台下では「雲海丸」座礁。
  • 小唄勝太郎「島の娘」ヒット。

昭和8年(1933年)

  • 延長37.8キロメートルの貨物自動車輸送道路完成。
  • 鰹の大漁で内地船を含め400~500隻の棒受船が集まる。
  • 実践女学校生が1月と2月に相次ぎ三原山火口に投身自殺。2件に同じ同級生が立会ったことでセンセーショナルに報道され、この年だけで129人が火口へ投身自殺。
  • 読売新聞社が火口内をゴンドラで探険。
  • 「葵丸(937トン)」東京―大島―下田航路に就航。
  • 田中絹代・大日方伝で映画「伊豆の踊り子」封切。
  • 「燃ゆる御神火」の歌ヒット。
  • この年の観光来島者数194,293人。

昭和9年(1934年)

  • 本土との電話開通。
  • 元村村民の支庁長への暴行事件起こる(港湾整備が岡田村に決定が起因)。
  • このころ、生花の出荷が盛んとなる。
  • 湯場~御神火茶屋間の自動車専用道路を大野重治が出願。
  • 元村の弘法浜プール完成。(昭和63年取り壊し)